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一口コラム
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こちらのコラムでは週替わりで先生方が順番にお話しをしてまいります。
 
施術部部長 小杉英紀

第540回 一口コラム

今回の担当は
施術部部長 小杉英紀です。

令和2年9月30日

 

「警戒」

ヒトが物事を捉え認識することは紛れもなく「主観」です。そして自分のなかで留め置きアウトプットの必要がないのであれば、言語化する必要はありません。

ただ自分以外の複数の人々と社会を構成しそれを維持するためにはお互いの思考や認識を理解する必要があります。そのためのツールとして「言葉」の存在意義は重要であります。

(因みにより多数の共通認識のためには言語化(いちたすいちはに)ではなく記号化(1+1=2)になります。これなら平仮名を知らなくても意味は通じます。)

ただ、最近はことば(言語)を用いて「わかり易く」説明することには限界があることをとみに感じます。というのも「伝えること」を突き詰めた結果、なによりも「わかり易さ」が最優先で最重要事項になりまたそれを要求し、されることが前提の世の中になり「伝えるべき本質」が霧散してしまっているのではないか?と。

「わかり易い」は手段であって目的ではないはずです。しかし「説明がわかり難いので聞いてられない」という一言で「本質に触れあう機会とそこからの理解と展開」の喪失が話者と聴者双方に起こっている気がします。

さらにいえば「わかり易い説明のために選択肢を出来る限り少数に絞ってみる」という設定がなされること。

そもそも何故そのなかから選ばなければならないのか?という疑問を持たないでいることは非常に危険な状況だと思います。

(例を挙げれば「原発」に関して「『推進派と慎重派』の2つの意見」という新聞の見出し。「推進派は賛成」というのはよしとしてそれに対立する側の意見は明らかに「慎重派」ではなく「反対派」なはず。)

各々が感じて持っている「感覚」をことばで表現することは思うほど簡単ではないし簡単にすべきではないと思います。

「饒舌に語られた自己の感覚」や「落としどころを求めるが故の簡略化」に対しての警戒心は絶えず持ち続けておかなければならない、と私は思っていたいのです。


 
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